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あなたが私にくれたもの

いつもくだらない事ばかりで、縦スクロール専門的な僕のブログですが、ダラダラ感をそのままに、最近起きた切ない出来事をログにしました。
途中で疲れたら他のサイトへジャンプしてくださいませ。



今日の日が落ちてから間もなくの時。
ひとつの命が永い眠りに就きました。

振り返ればとてもいい子でした。
本当は大きな病を患っていたのに、この飼い主ときたら元気で病気をしない元気な子だと思っていたのです。

10日ほど前から震えたり食欲が落ちたりして、風邪っぽいのだろうか…、などと安易に考えていた。

確定申告から帰る時、ふと、あの子を病院へ連れて行こうという気持ちが湧きあがりました。今朝はそれなりに食事をしていたし、幾分、昨日よりは元気そうに感じていたのだけれど、何かがおかしいと、もしかしたら神か仏か、僕の身体に憑いているもの、傍にいる何かが耳元で囁いたのかも知れないのだけれど、ただ何となく、そんな程度の感覚で、僕はまっすぐ家に戻ると、書類を置いてその子を連れて病院へ向かった。

クルマに乗り込む時、やはりその子の身体は震えていて、そしてやはり元気がないのを抱きかかえる腕で感じてしまった。
頭の中には急がなくてはいけないのかもしれないという焦りが溢れ、雨の降りだした街の、かかりつけの動物病院へ向かう道を、規則をそれなりに守って走っている前のクルマに若干の苛つきを覚えながら、でも、助手席で丸くなっているこの子に気を遣いながらクルマを走らせた。

かかりつけの獣医師はこの子に触れはじめてから3分程で重篤だという診立てをした。

ご飯も食べたし、歩けていたし、少し寒くて具合が悪いだけだと思っていた間抜けな飼い主の僕は、その数分後に突き付けられる最初の検査によって出された診断結果に愕然とさせられるのだ。
そして、自身の愚かしさに項垂れ、戸惑い、慌てふためくのだ。

末期の腎不全だった。

エコー画像、レントゲン、血液検査でその全てが裏付けられた結果だった。

腎不全には特効薬がない。

幸いにも、人間に対しては、腎臓移植や透析などという手法が選択できる。
でも、この子にはそれがない。点滴やら微かか効果が認められているという投薬治療で、最期の時までを騙しだまし、ちょっとずつ、でも確実にその時へとにじり寄るような苦しい日々を送るという選択と、治療そのものを受けられないという選択しか残されない。
自分では選べないのだ。

安楽死は?

それはこの子の場合は僕が選ぶ選択肢だ。やはりこの子のものではない。

治療を施しても、もって半年くらいがリミットだと獣医師は僕に伝えた。リミットとは治療開始のそれではなく、命の営みのそれだ。

苦しいのか。
苦しいし、だるい。

痛いのか。
痛いと言うより辛い。

そんな日々をあと半年も続けて、そして、あと半年しかない日々を過ごすという現実を、もしそれが僕に起きたのだったら…、と身を置き換えて考えてみると、ぞっとする以外の言葉がすぐには見つからない。
誰かの意思で命を終わらせてもらった方がはるかに幸せなのではないかと思えるようになったのは、その数分後、点滴を使った治療と、投薬を併用した治療のプランに関わる説明をしてもよいかと獣医師が徐で優しい声で聞いてくれた時だった。

その獣医師は、彼は彼なりに自身の愛犬を自身で治療し、最期まで手を尽くし、そして看取った時に己のそれまでの処置に問題があったのではないかという遺恨を常に感じて生きていると言った。
だからこそ、治療に関して幾つものプランを、さまざまなケースを予測に入れて提示できるという能力に長けているのだろう。
彼の提示したプランは、当然の事ながら、大金持ちではない僕に合わせたものだった。

彼は、とりあえず、一旦このだるくてしんどい症状を可能な限り軽くして、通院できるようにする為の数日間の入院だった。

ギリギリだが、何とかできるかも知れない金額に至るプランだ。
それでも他の動物病院と比べたら安い方だ。とてもICUまで完備している病院とは思えない費用設定だ。

僕はすぐにこの子を入院させる事にした。

それではすぐに入院の為の処置をしますので待合室でお待ち下さい、と獣医師の傍らにいた女性スタッフがこの子を抱き上げて行った。

待合の通路でワクチンや、流行している病気や、新しいドッグフードのポスターを眺めながら、病院の奥の方から聞き慣れない声がしているのを耳にしていた。ネコか何か他の動物の声が響いているのだと、そう思っていた。
これから入院して、少しでも症状を軽くする為の処置を施されているあの子の声だとは微塵にも思わなかった。

直後にスタッフの女性が僕に声をかけてきた。

容体が急変して…。こちらへどうぞ。

と、彼女は急ぎつつも落ち着いた仕草で僕を処置室まで導いてくれた。

そこに居たのは、あの聞き慣れない声を出していたのは、この子だったのだと自分の目を疑った。

幾つかの管や脈を取るセンサーのようなものが付けられ、ドラマなどの病室のシーンで人が亡くなった時に聞こえてくる、ピーという音がしたり、消えたりしていた。

心室細動を起こしている状態なのだという。

AEDでショックを与える事でなんとかできるかも知れない、と獣医師が人工呼吸器をこの子にセットしながら慌て気味に言った。

耐えられなかったのは僕の方だった。
この街に来て2年もしないうちにドライアイが原因で失明し、嗅覚と聴覚だけで生活しなければならなくなったこの子の瞳は、見開いたまま乾燥し、手足は有意識下で動いているのではなく、痙攣で微かに動いているように見えた状態で、人工呼吸器を外してしまったら即座に心臓は完全に停まってしまうとの事だった。

この状態で苦しみをこの子が感じているのであれば、どうか安楽死の薬を使って…、などと、口を衝いて出た自分の言葉はもう声にならなくなっていた。

獣医師の彼は、殆どなにも発する事ができていない僕の様子を見ながら、分かりました、とそう言った。

処置室から出され、数分待たされた後で再び処置室に戻された時、そこにはおおよその管やセンサーを取り外されたあの子の身体が横たわっていた。
手を伸ばして、その頭や背中を撫でた。

苦しかったね。
辛かったね。
ごめんね。

そんな事を呟いて、もう何度かその身体を撫でた。

痩せてしまって少し骨ばった感触のその子の身体から手を離すと、僕は診察室で待つようにと促された。

診察室の動物用の体重計の脇にある椅子に座って、レントゲンやエコーの画像の映し出されたPCモニターに目をやりながら思った。

あの子は、僕の日当と一日当たりの入院費が同じで、正直苦しいかなぁ、などと、治療プランを聞かされた時に思ってしまった自分の気持ちを拾い上げたのではないかと感じ始めた。その時に診察室に入って来た獣医師は、最初に僕に詫びた。
詫びる必要などないのに、彼は、診察をし、診断をし、今よりは改善する治療方法を勧めておきながらこんな事になってしまって申し訳ない、と、そういう事だった。

僕としては、本音で言ってしまえば、昼間誰もいない自宅であの子があのような容体に陥ったとしたならば、そして、原因も理由も恐らく全く分からないままで終わってしまうのなら、その悔いは数十倍にも数百倍にも膨れ上がる。けれど、彼のお陰で病名も症状も状態も腑に落ちる形で示してもらえたのだからありがたい。かえって入院にあたっての費用の金勘定で心の中で小さく溜め息をついていた自分の情けない姿の方が数千倍も痛い。

すると、獣医師はこんな事を躊躇いながら口にした。

私がこんな事を言うのも失礼な話なのかも知れませんが、あの子は悟っていたのではないでしょうか。とかく、そういう事が往々にしてあると私は思うんです。

僕もそれは信じたいと思った。
あの子は、病院の診察室で、人が交わした言葉の雰囲気で、その中で際立って僕の気持を察知して、先の知れたその身と、僕のような頼りない飼い主の境遇の両方を汲んで逝ったのかも知れないと思ったのだ。
まだ半年残っていたけれど、もう半年徐々に苦しくなって辛くなって痛い思いをする事と、今日を終いに最期の時にしてしまう事とを天秤にかけて、そして後者を選んで駄目な飼い主を救ったのだと、そう信じると言うよりも、もう、そうなのだと考えてしまっていた。

大した事など何もしてあげられなかった。
目が悪くなってから散歩にも行ってあげられなかった。
ずっと同じレイアウトの部屋の中で、目や顔を傷付けないようにしたひとつの部屋の中で暮らす毎日しかあげられなかった。
皮膚病もあった為、単調で味付けなど殆どないマンネリな僕の作ったものしかあげられなかった。

極めつけが、大病を患っていた事に全く気付かないでいる始末だ。

過去を嘆いても仕方がないと言うけれど、嘆きたいのが心情だ。
早く気が付いていれば、視力も健康な皮膚も、短くして命を落とす事もなかったのだと思えば思うほど悔やみきれない切なさが残る。
そんな事をしても、何ひとつ変わらないのだけれど。

せめて、今夜はずっとそばにいてあげたい。
迷惑なのかも知れないけれど。
押しつけがましい飼い主の不器用な愛情表現だと自覚はしているのだけれど。
今夜はそばにいてあげたい。

ワンコ達はヒトよりも速い時のカウントで生涯を駆け抜けてしまう。余程の事があろうとなかろうと、だ。ヒトの何倍もの時間の重さを背負って生きていると考えるのならば、飼い主もしくは好きな人が、そばにいてあげられる時間を最大限に作る事がワンコ達にとって、それは最も基本となる幸せなのかも知れない。

勿論、これは勝手な飼い主側の論理なのだけれど。
それしか思い浮かばないから、最後くらいはと思い至るから、だからこんな安直な事しかできないのだろう。

お通夜だから、朝までずっと一緒にいよう。
病院のご厚意で綺麗な旅化粧をしてもらったこの子の姿をずっと眺めていよう。

でも、もしかしたら、うっかりうたた寝をして、燈明も線香も消え失せた部屋で、夢に出て来てこの子は僕と遊んでくれるかも知れない。

むしろ、それを狙って眠ってみるのも一計かとも思う。

少し悩ましいところだ。

どちらにしても、伝えたい事は同じだ。

ごめんね。
今まで一緒にいてくれて本当にありがとう。
愛してるよ。

そして、もうひとつ。

それじゃあ、またね。
キョロちゃん。

本当の名前はキョウコ。
少し早目過ぎるお別れだね。

明日、キョウコは煙と共に空に昇ります。

晴れるといいな。


そして翌日。

目を疑うほどに晴れ上がった空だった。

快晴

雲ひとつない快晴。
上空に少しだけ強い風。
暦通りなのか、微かに春めいた空気だった。




今日はキョロちゃんが空へ昇る日。
願った通りに天気は晴れた。
予想以上に、昨晩の雨が嘘のように、お父さんワンコのごえもんを空へ見送った時と同じような晴れ具合だ。
親に似たのかも知れない、と思ってしまった程だ。

キョロちゃんの、魂が抜けて残された身体が納められた段ボール箱から、炉に入れてはいけないものを全て取り去ると、キョロちゃんの身体の全体が露わになった。

すっかり冷たくなってしまった頭を撫でた。
固くなってしまった背中も撫でた。
そして、身体全体をそっと撫でて、それでお終いにした。
自分の心にもけじめを付けた。

炉の係の方がキョロちゃんを箱ごと炉の中央に移し、線香の束を隣に置くように僕を促した。

それでは、これでお別れとなります。

係の男性の言葉でしっかりとさよならを受け止められたような、そんな気がした。

炉に火が入る。
この炉の仕様で、二段階でバーナーに火が着くらしく、少し大きな発火音が二度聞こえた。

これからおよそ1時間ほどかかります。

炉の係の男性はそう言って僕を待合室へと促し、コーヒーと水を一杯差し出してくれた。
それからの一時間は、長いようで短いようで、通夜を過ごした僕は気が着くと睡魔で船を漕いでいた。
ごえもんの時と同じようにと、眠気覚ましがてらに骨壷が陳列されている棚を見に行った。

ここで遺骨を処分してもらう事もできるのだが、僕は家へ連れて帰る事にしていたからだ。

色々なデザインのものがあったが、最もスタンダードな、何の飾り気のない、凝ったデザインの欠片すらない乳白色の壺に決めていた。

コーヒーを飲み干し、水も飲みきり、炉の火が消えるまでの時間を、少しだけゆったりと、外の景色を見ながら静かに待つ事にした。
それから30分程が経過した時、係の男性に声をかけられ炉へと向かった。

男性はそこで開口一番に言った。

何か薬とかずっと飲んでいましたか?
骨がもろいんですよ。年齢の割に弱いというか、年老いているかのような、少し病的にも思えて。
普通に健康ならば、もっとしっかりしているし、ほら、この辺りのかけ方もギザギザで、本来ならばまっすぐに亀裂が入るんですよ。少し力を入れると粉々になってしまうものだから、ちょっと驚いてね。

いや、大した事は何もしていないです。
昨日病院へ連れて行って病気が判明して、そのままい亡くなってしまったので。
という僕の回答に、彼は応えてくれた。

寿命ですね。
短いみたいだったですけれど、与えられた時間をしっかり生き抜いたのですよ。全うできて良かったのだと思いますよ。

そうですか。
そう仰って頂けると気持がまた少し楽になります。

骨壷が当初のサイズからひとつ下の大きさに変更になった。
ごえもんと同じ壺だと、大き過ぎてしまうからだ。
そして、箸渡しでキョロちゃんの遺骨をその標準より小さめの壷へと箸渡しで入れていく。
何人も見送る人がいると、順番に代わるがわる行うのだが、僕ひとりしかいない箸渡しは少しだけ慌ただしい。うっかり骨を壊してしまいそうになる。
そして、同時に寂しさを感じてしまう。

後は私がお入れします。

係の男性は手際良く、あっという間に遺骨を壺に無理のかからないように納め、そっと蓋をし、白い布で骨壷を包んだ。

手渡された骨壷を抱きかかえて待合室へ戻り、清算を済ませてクルマに乗り込んだ。

さぁ、お家へ帰ろうキョロちゃん。

クルマの出入りに少々スペースが必要な僕のクルマは、いつもなら切り返している筈なのに、そのまま細い通りに面した駐車場から一回で出ようとしたものだから、縁石でバンパーの下の部分をゴリゴリとこすってしまったようで、ミラー越しに誘導をしてくれていた係の男性の苦い表情が見えた。

この傷は記念になるね、キョロちゃん。

などと独り言を呟きながら火葬場を後にした。

助手席に置いたキョロちゃんの骨壷を見ながら、ワンコの世界にも、美人薄命、なんて言葉は通用するのかも知れないと、ふとそんな事を思った。
キョロちゃんは生まれてくる時に仮死状態だったものを、僕が必死に叩いたり気管に入った水を抜こうと振ったりして、僕の所で生まれてくる子達は絶対に死なせないと何度も繰り返して言いながら、やっとの思いで命を繋いだ子だったせいか、少しだけもの覚えが悪いようだったが、確かに整った顔立ちで綺麗な子だった。

ご縁がなくて独身で過ごしてしまったが、もしかしたら可愛い子達を産んでいたのかもしれない。

雲など全く現れる様子の無い空の下を、僕とキョロちゃんは家へと向かった。厄落としを兼ねて一か所寄り道をして、そして父犬のごえもんの壺の隣へと収まった。

灯明から線香に火を移し、お鈴をそっと鳴らして手を合わせた。

お帰り、キョロちゃん。

人それぞれで考え方や捉え方は異なるようだが、遺骨はきちんと埋葬しなければならないとか、散骨しなければならないだとか、カロートと作って納めなければいけないだとか、そのまま家の然るべき場所へ置けば良いという意見がある。

僕は位牌を用意できる訳でもなく、そもそも、ワンコに位牌が必要なのかも分からないし、かと言って、遺影を代わりに置いて日々、線香を立てようにも、肝心な写真でまともなものがない。
おかしな格好をしている時のものや、風景写真的に後ろ姿を捉えたものものばかりで、本当にまともなものがないのだ。
しかも、それぞれが体調に変化が出始めてからは全くと言ってよいほどワンコ達の写真を撮らなくなったのは確かだ。

弱みを背負った姿を残そうだんて、趣味が悪いと言っても過言ではないと考えていたからだ。
だからここ数年の僕のカメラの被写体は誰もいない風景であったり、無機物であったり、ブログ用の説明画像ばかりなのだ。

だから、当初より家に骨壷を置いて、お参りする形をとっているのだ。
元気な時の写真でも、と思われるかも知れないが、そうなると、本当に小さな頃の幼いものしかなくなってしまう。
それだけ、とりわけlキョロちゃんの眼病の発症は早かったのだ。

9歳という若さだったのだけれど、たくさんの人達の言葉にあえて乗せられて、進んで騙されて、誤魔化されて納得したキョロちゃんの生涯に、僕なりの気持の落とし所を置いて、そして、明日からは顔を前に向けて生きていかなければいけないのだ。

何故と言えば、少なくとも僕にはあと2つの命を今回のように見送る義務が残されているからだ。
万が一にも僕が先に逝く事があったらどうしようかと思案する事はあるけれど、とりあえずは歩かなくてはならない。

いつか自分の墓にこの子達と一緒に僕が納まれば、色々な意味で帳尻が合うのだが、それにはまるで程遠い環境に、今、僕は立っているからだ。仕事も生活も今のままではダメなのだ。
無念のままに全てが終わってしまうかも知れない。

そう言えば、通夜の晩、意図した事ではなかったのだけれど、何度かうたた寝をして線香やろうそくの火を絶やしてしまっていた。
だけれども、夢枕にキョロちゃんは現れなかった。
僕の眠りが浅過ぎたのか、キョロちゃんも疲れていたからなのかも知れない。

今夜あたりには会えるだろうか。

妙な気分のまま、今日はこのまま布団に潜り込もうと思う。

愛犬家に良くある愛犬自慢の画像のアップだけれど、僕もご多聞い洩れずだ。

キョロちゃんが昇った空の画像と、この子がおかしな格好をしている姿を誰かに診てもらいたいと思ってしまうのだ。

こんな飼い主でごめんね、キョロちゃん。


そして、後日談ならぬ、翌朝の話だ。

ハッとしたのだ。
ごはんを作り過ぎてしまった事に気がついたからだ。

そうなのだ。

使わなくなった皿がひとつ増えてしまっていた事をすっかり忘れていたのだ。

いつも同じ野菜+ちょっとしたお肉の入ったスープを味付けせずに作っておいて、ワンコ達と自分用で味付けを変えて分けっこしているのが我が家の食事のパターン。

それはそれとして、ワンコ達のお皿にご飯をよそおうとして、二つしかないのを見て、少し、やっぱり寂しさが込み上げて、ひとつ小さく息を吐いてから、二つのお皿にご飯を入れた。

ワンコ達を連れて、このワンコ達が生まれた所へ、かつて暮らしていた町ね帰ろうかという気持ちを強くしても許されるような、手前勝手な理屈を頭の中で模索し始めながら、二つのお皿を見ている自分がいる。

他にもかなり深い所からの経済情報の影響もあるけれど、この地に留まる理由が加速的に削がれている僕の人生に、目に見えない誰かが僕にそう囁いているからなのかも知れないけれど、それに乗せられてしまおうという自身の強さなのか弱さなのか良く分からない曖昧な心理に振り回され始めたのだ。


続きは、後日談にて。
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  • このエントリーのカテゴリ : わんこ

コメント

No title

年が明けてもずっと更新がなくて
きっと便りがないのは良い便りなのだと思いつつ過ごしていて…。
おまけにちゃんと読み込んで
自分なりに整理してコメントしようと思っていたら
熟成させすぎてしまって今更なタイミングですみません。

身近な存在が失われるというのはどうしようもなく辛いことですね。
読んでいるだけで涙が出てきて
いろんなことを考えてしまって
なかなか言葉になりません。
察する事しかできませんが
焦らず少しずつでも気持ちが落ち着きますよう。

命が失われる喪失感はどんなものでも埋められませんね。
だからどうしてもそこに何かを見いだしたくなって
正解なんていくら考えても分からないんですけど
それでもたくさんたくさん考えて意味や理由を探してしまいます。
きっと宗教ってそんなとこから始まるんだろうなとか
そのために宗教ってあるのかななんて思ったりもして。
特定の宗教団体に属したりとかはしませんけども。
人並みにお寺との関わりはありますが
葬式仏教って言われるだけあってただ儀式をしてくれるだけで
悲しみや喪失感を癒やしてくれる宗教的なものが何もないですしね。
だから自分で考えていくしかないですよね。

書かれていることしか分からなくて
勝手にいっちゃいけないのかもしれないけれど
私も獣医さんの言葉は納得できてしまいました。
病院に行ったことも含めて
やはり何かに導かれている部分はあるんじゃないかなとも思うし。
何が最善なのかは誰にも分からないけれど
きっと現状の中ではいいお別れができたのではないかと
そんな風に思えました。
生活の場を変えることも考えていらっしゃるようで
時期的にも年度変わりだったりして
いいタイミングなのかもしれないですよね。
こんな風に考えるのは都合良すぎるのかもしれないけれど
わんちゃんが悪いものを一緒に持って行ってくれて
前に進むよう背中を押してくれているようにも思えます。
甘えることや流されることが良い時もありますし
結果的に頑張りすぎたり意地はったりが良くないって場合もありますよね。
選択が良かったのかどうかは後にならないと分からないけれど
じっくり考えて自分が納得できれば
後から軌道修正もできますし何かをきっかけに動いてもいいんじゃないでしょうか。

寂しさにも慣れて気持ちが落ち着いていたらいいなあと願っています。
寒暖差が激しいですし
心身ともにくれぐれもお気を付けください。

ありがとうございます。

おかげさまでだいぶ落ち着きました。

何か悪いものを、僕に降りかかるいけない物を、あの子は拭い去って行ってくれたのだろうと思います。

この出来事を知っているほんのわずかですが、そのほんの少しの、片手で数え切れるくらいの友人知人が、口を揃えて僕にそう言いました。

そして、今でもたぶん八王子で営業している占い師さんも随分前に、「ペットというものは自己を犠牲にしてでも主人を守る。どんなに自身を虐げた主人であっても決して恨んだり憎んだりしない。だから動物を飼うのなら心から愛をこめて大事にしなさい。」と、僕に忠告してくれていたのを思い出しました。

どこまであの子を愛して上げられたのかを自己採点したら、きっと褒められたものではないだろうと思うのですが、あの子はお構いなしに僕に降りかかる、降りかかっている、降りかかってしまっていた何かを拾って言ってくれたのだと信じているというか、感じています。

僕の育った家は武家の系統らしいのですが、一応禅宗の檀家です。私個人は実家を飛び出しているのも一つの理由ですが無宗教なのですが、その禅宗の僧侶がかなり修験者で、年齢の割に相当に位の高い方なのだそうで、その方から宗教の意義について、いわゆる説教というのをして頂いた事がありました。

「我々宗教に仕えるものは、最近でこそ仏教については結婚式を頻繁に行うようになりましたが、基本的な、”教え” は葬儀にまつわる事が多く、古来からそれが殆どだと言っても過言ではありません。少なくとも、どの宗教にせよ、その宗教に信頼を寄せられていらっしゃる方々はそう思われている事でしょう。しかし、我々僧侶が何の為に修業をし、お経を覚え、その意味を知り功徳を積んでいるのかと言えば、実のところ、お亡くなりになられた方々よりは、残された、つまり、生きておられる方々の為に唱えるお経があり、般若心経などはその代表的なものなのです。他にも色々とあるのですが、魔除けやお葬式やお祈りの儀式では定番のように唱えられるのですが、実際にはそのお経を耳にされる方々へ向けたメッセージと捉えて頂けると分かりやすいかと思います。亡くなられた方の後の事は神仏にお任せしました。宜しくどうぞという部分と、残された皆さんは、いつまでも気を落とさずに、自身の人生をより充実したもの、邪なものにゆさぶられたり、堕落した生き方を選ばないように、しっかりと生き抜いていきましょうというメッセージが込められているのだとお考え下さい。」


そんな内容でした。

妹が亡くなった時の説教の内容だったのですが、この後に、
「故人への最大の供養は、時々思い出して差し上げる事です。あんな事があった、こんな事があった。なんでもいいんです。心の中に故人を思う気持ちがある事が大事なのです。」

なんだか本題からそれてしまったような気がしますが、つまり、そんな説教を思い出して、頂いたコメントとリンクして、じんわりとしてしまった訳です。

mさん、コメント本当にありがとうございます。

心より感謝いたします。


寒暖の差、半端なく激しいですね。
今年の気候もどうかしてしまうのかもしれません…。
お互いに体調に注意しましょう。

改めまして、ありがとうございます。

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