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僕の生涯の、最後の家族になる筈だった、愛犬が家から抜け出して姿を消した。

警察にも保健所にも問い合わせたが、クルマなどによる事故に遭った犬の情報もなければ、僕自身が何十キロも走って確認した段階でも、そのような現場も見当たらなかった。

近所で姿が目撃されたという情報は得られたが、何者かが捕まえてクルマで立ち去って行ったようだという情報もあって混迷を極めた。

そのワンコは深刻な心臓病で、朝晩の投薬が必須だというのに、家を抜け出してから3日が経過してしまった。
つまりその間は薬を服用していない事になる。

自前でだが、それなりに見た目にも奇麗にカットしたばかりだったし、人懐こくておとなしい性格な為、もしかしたら、保護されたままその家の犬として飼われてしまう可能性は捨て切れない。
ならば、願わくば、適切な投薬を生涯に渡って行って欲しいとさえ願う。
最悪自身の元へ戻ってこなかった場合にだが、そこにこのワンコの、この先の、続きの明るい未来があるのならば…、と願うしかなかった。

勿論、僕の元へ戻ってきてくれる事が最善の大前提に、自分の出来うる範囲で散々に手を尽くしたつもりだったし、実際にそうした。

人が集まりそうなところに迷い犬の張り紙をお願いしたり、近隣の全戸は無理だと思い、通り沿いのお宅を訪ねて回ったが、有力な情報は殆どなく、とても不安な毎日を過ごし続ける事になった。
食事を作る気力など起きず、それでも何か胃に入れねばいけないと思い、身体に良くないと知りつつジャンクフードに手を伸ばしてしまう始末へと陥った。

たった数日だが、自身の体力が急速に落ちて行くのが判るくらい食生活は悪くなった。
愛犬がいなくなった日の前日に買い溜めしておいた安売りのパンが尽き始め、改めて振り返ってみてもどうかしてしまっているとしか言いようのない、食べるパンの数を半分に減らすという手段をとった。買い物に行く時間を捜索に充てたいと考えたからだが、我ながら間抜けだと思った。
目と鼻の先にあるコンビニで少しばかり高価なぱんやらおにぎりやらを買って動けば済む程度の事だというのに、それに全く気が付かなかった。
頭では分かっていても優先順位の上の方に自分自身の食事はリストアップされて来なかったという訳だ。

取り乱すというのは、こういう状態を指すのだ。
実に典型的なパターンを演じてしまった訳だ。

日々のふとした瞬間に思い描くのは、やはり愛犬の姿だ。
最期まで手元で、最後まで付き合うと決めたワンコたちとの人生で、最も情けなく、心を搔き毟られるような、生き別れを経験する羽目になるのかも知れないと考えるだけで後悔の念が頭の中を埋め尽くした。

切り札はない訳ではないが、所詮、他人任せでしかない。
懸賞金をかけて捜索を大々的に行う事だ。
しかし、そんな財力など自身にはない事は分かっていたし、馬鹿げた妄想だとそれは諦めるしかなかった。

残された道は善意のある方による保護と、それから保健所や警察への通報だ。


それからまた一日が過ぎ、家に帰って玄関のドアを開ける瞬間に精神的なダメージを更に喰らった。
まだ完全に決まった訳ではないし諦めた訳でもないが、たった半年で、家族というものの全てを失う瞬間に自分が遭遇していると痛感した。

地元で知り合い、この周辺エリアで最も信頼を置いているたった一人の友人は自信たっぷりな口調で励ましてくれた。
「大丈夫。絶対に大丈夫だから、まずは自分がメシ食べなよ。」
どうしてそんなにきっぱりと言い切れるんだと思うと、不思議と涙がこみ上げた。
この数日間の気持ちの痛みをその言葉が緩和してくれた。
そして、彼は言う。
「強く心で願う事!」

愛犬が無事に僕の所へ帰ってくるようにと、願って、願って、呼吸を止めて空を仰ぐ。そして、ゆっくりと息を吐く。
無事に帰ってきたら、思う存分に抱きしめてあげよう。
もう、どこへも行かないように、そっと言い聞かせながら頭を撫でてあげよう。
今は、強くそう思うしかないのだと、必死でワンコの無事を願った。

神がいるというのなら、そして対価として何かが必要だというのなら、僕の目でも腕でも持って行けばいいとさえ思うようになった。
犬バカ風情も度を超すとこうなるのだ。


最後に残った僕の家族が姿を消し、そして時間が経つにつれ妙な思考に苛まれるようになった。
どこかのお宅で保護され、そのままそのご家庭が家族の一員として僕の犬を別の名で迎え入れてくれるというのならば、そして、きちんと獣医師にかかり、適切な治療を受けられるのであれば、それももうひとつのワンコの運命であり、生涯でもあるのだろうというものだ。
我に返った途端に、何を腑抜けた事を…、と思いながら溜息をつくのだから始末に負えない。 
でも、探すのを諦める訳でもなく、あちこちへと訪ねまわるのだ。

人は矛盾する生き物だと教えられた事があるが、身に染みて腑に落ちたのは、今になって、この歳になって初めてだった。
人が歳を重ね、家族が減り、やがて独りになった時、それが大切な存在であればある程、心に隙間はできやすくなるのだろうし、その隙間の大きさは計測不能だ。
計り知れないのだ。

そう、心底思い知らされた。


しかし、どんな所で、一体どんな力が、全くどんな風に働くのかは分らないが、友人の「大丈夫」が真になった瞬間に、そんなどん底な気持ちが一変したのだ。
180度ひっくり返ったのだ。
手のひらを返したように、未確定の、でも、真実味に溢れた情報に踊らされるかの如く、気持は晴れ上がる。
実に都合良く…、だ。

僕の犬が見つかったらしいとの情報が入ったのだ。

それは保健所からの連絡だった。
僕の愛犬らしき犬の保護をされた方から連絡があったので、そちらへ直接電話をしてくれというものだった。
保護をされた方へ連絡をし、愛犬の詳細な特徴と保護された犬の特徴との擦り合わせを行った。
間違いないと確信が持てる内容だった。
それから自分の愛犬思しき犬を迎えに急ぎ、そして、それはそのまま再会となった。

やつれたというか、クタクタになったというか、泥埃で汚れてはいたものの、見覚えのある犬がそこにいた。
名を呼ぶと反応して、ヨロリと立ち上がった。
保護をして頂いていた方は良かったと喜んで下さった。

保護をして下さった方は動物愛護に対して深い理解があった。
通常、動物を保護した場合には保健所へ連絡をする。次の手順として、保健所がその当該動物を回収に来る。保健所が保護した動物の所有者が引取りに来るのを待つという形式になっている。

今回、僕の犬を保護して下さった方は、保健所に連絡はしたものの引き渡しを拒んだとの事だった。
詳細は記述できないが、理由は保健所に行った事がある人ならば、そして事情に精通している方ならば、十分に理解できる内容だ。
お陰で、僕の犬は最短で、健康状態の増悪に晒される事もなく、僕の元へと戻ったのだった。

愛犬を連れて帰った僕は、毛に付いてしまった植物の種やゴミや糞などをバリカンを使って手早く刈り落し、シャンプーで埃汚れを洗い流し、かかりつけの動物病院へと向かった。

室内犬が迷い犬として彷徨った際には、その犬はいくつものリスクを伴う事になる。
未知のものに対する興味や刺激で、思いがけないものを口にしてしまったり、無意識のうちに触ってはいけないものに触れてしまったり、付かれては困るものに取りつかれたり、刺されたりしてしまっているケースが往々にしてあるのだ。

僕の愛犬に対する懸念事項もそれだった。

かかりつけの獣医師も同意見で、最初に行ったのが血液検査だった。
結果が出るまでにひと通りのエコー検査や、植物の棘等による怪我の治療、取りきれていなかったゴミの除去をしてもらった。
マダニ、ノミ、フィラリア、農薬、忌避薬、殺鼠剤などの影響の有無を確かめ、問題を端から潰していった。

今は治療薬の開発が著しく、同時に複数の症状に対処できるものが製造されている。
今回の診断で、僕の犬は大事をとり、抗生剤の注射と、ノミやフィラリアなどに同時に作用する上述の塗り薬と、血液検査からの判断で、肝臓保護薬の飲み薬で対処する事になったのだが、血液検査の結果が出るまで暫くかかる時間の間にもらった電話で、僕は更に心に染みる思いを経験した。
それは僕の犬が見つかった事に、電話の向こうで泣いて喜んでくれる知人男性の涙声だ。
つられて自分も涙が滲んでしまった。
自身でも犬と家族として暮らす電話の向こうの彼は、僕の犬の無事に惜しみなく涙を流してくれたのだ。

温かく、優しく、ありがたく…。


ワンコ達からもらえるものが、こんなところにもあったのだ。


何よりも嬉しい宝物を、一般的にペットと称される家族たちの繋がりから我々は貰っている。

たくさん貰っている。
それこそ計り知れない大きさのものを知らずしらずのうちにさまざまなカタチでだ。


ありがたい。

と、一言で言い表すには、もったいない。

そんな気がするのは僕だけかも知れないけれど。


仕方がないから、やはり…。



「ありがとう」

なのだ。




後日談というか、愛犬と共に自宅へ戻った数時間後の新聞の折り込みに、迷い犬の捜索願いのチラシが挟まれて配達されたのだ。
前日に新聞店へ折り込みチラシのお願いをしに行った訳なのだが、そこのオーナーが愛犬家で、親身になって格安で折り込みをして下さったのだ。
愛犬が見つかったからといって、恐らく折り込みが終わっているであろう時間に依頼の取り下げをするのも如何なものかと思い、そのチラシが配達された翌日に、捜索していた犬が無事に見つかった旨を記述したチラシを折り込んでもらいに御礼を兼ねて新聞店へ行った。頂いたご好意にケチをつけたくなかったので、事実は少し捻じ曲げられて伝わる事となった。



「お陰さまで、チラシが入った日に情報が入りまして、無事に見つかりました。」








愛犬の放浪日数=5.5日
愛犬の放浪距離=最短計測で約5km
その間の天候=雨天1日、最低気温12℃の日が1日

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命があるという事は、いずれその灯火は消えてしまうという事でもある。

何故も何もない。

それが魂ではないからだという人もいれば、それが自然の摂理だからと躊躇なく口にする人もいる。

ただ、僕の場合はそのどちらをも否定はしない。そもそも否定する以前に、というか、肯定する以前にそのどちらにも当てはまらないところで思考が止まってしまうからだ。

確かに早いか遅いかで、死は必ず訪れる。
誰の身にも例外なくだ。
ならば魂はどうかといえば、魂そのものが客観的な評価、認識でしか存在しえない以上、考えても仕方がない事だと感じているからだ。

特に、別に、無感動や無感情や無慈悲になった訳ではなくて、ただ、当たり前のように、それがそういうものであるという捉え方をするようになっただけで、抗う事も、足掻く事も、実を言うと散々やった。

本当に自分ができる範囲でやり尽くせる事は、きっと多分、限界までやった。
そう思いたい。

「ごめんね、というケースではないです。」

獣医師は徐に声をかけてくれた。

「むしろ、ここまでやってもらえて幸せだったと私は思います。」

彼は、ゆっくりと、静かにそう言ってくれた。

「もしかしたら、治療を続けたせいで、苦しみが伸びてしまったのかも知れないと思われるかもしれませんけれど、私はそれは違うと思います。オトちゃんは、本当に幸せだったと思います。この飼い主さんと居られたことを幸せに思ってくれていると思います。」

そして、ご自身の犬を失った時の話と重ね合わせるかのようにして、優しく続けてくれた。

「もう少し後になるだろうけれど、先に行って待っていてくれよな。って、そういう気持ちで十分だと私は思います。本当に一緒に、懸命に頑張られたのを私は見て来ましたから。」


娘であるキョロちゃんが逝ってから、ほぼちょうど2か月後、母親であるオトが命の火を尽くした。

持病の皮膚病・脂漏症から始まり、マラセチア菌による外部からの攻撃の侵攻に紛れて、ブドウ球菌の皮下侵食を併発し、心肥大症を抱えながら、まずは皮膚の健全化を図るべきと始めたシャンプーの途中で、心臓発作でオトは気を失った。
その直後から食事を摂らなくなった彼女を院へ連れて行き、新たに腎不全が発覚したのだった。

恐らくは腎不全による痙攣か心房細動による失神が命を落した原因だろうと獣医師は診断した。
死の瞬間に、すぐそばにいなかった僕には、正確な死に繋がった下人を特定できる情報を伝える術がなかったが故の診立てだ。

真実を知ったからと言って気持ちが晴れる訳ではないし、そばに居なかった事を悔いたところで、それまでの彼女の苦しみを取り去れた訳でもない。

全てを、そうなってしまった事の結末を、ただ受け入れて、無理やりにでも腑に落ちるようにしなければならない。
そうでなければ、残酷でしかなりえないと、そう思うからだ。


キョロちゃんの時と同じように、昨日の雨が嘘のように空は晴れ上がった。

そして、キョロちゃんの時と同じ場所で、オトは空へと旅立った。

オトの逝った空


本来なら、荒れた肌に血痕を残したままの姿で荼毘に付される筈だったのだが、獣医師に無理を言って死化粧をしてもらっていた。

たかが犬、たかがペットの死体。
けれど、彼らはオトの遺体を丁寧に清め、花飾りの付いたリボンを餞代わりに添えてくれた。
医師ならではの適切な処置で、通夜を開けて旅に出るまでの間に、段ボールの棺を汚さずに済んだ。


まだ3年くらいは一緒に居られると思っていた。
まだあれこれと話しかけて反応を楽しめると思っていた。
まだこっそりと白菜を盗み食いしたり、キュウリに襲いかかるようにかじり付いたりする姿に笑えるのだろうと思っていた。

でも、もう、それらは全部、思い出になった。

僕だけの思い出になった。

そういえば、ドラえもんのポケットの中に、時間の流れを体感できるアイテムがあったっけ。

時だけは無造作に、無頓着に、躊躇なく強引に流れ去って行く。

僕の思い出は、その流れに乗って、僕がこの世を去る時までのものでしかない。それだけのものだろうし、それだけのものでしかない。

こうしてオンラインで、どこかにこのログが残ったとしても、その「時」が過ぎた瞬間に「無」に還る。

それまでの間だけれど、オトに伝えておきたい事がある。

一緒に過ごせた事。
共に闘った事。
家族になってくれた事。

本当に、心の底から、ありがとう。

愛しているよ。

虹の橋の袂で、転げまわって走りまわって、そしてグーグー寝ながら待っているように。


じゃあ、またね。
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
いつもくだらない事ばかりで、縦スクロール専門的な僕のブログですが、ダラダラ感をそのままに、最近起きた切ない出来事をログにしました。
途中で疲れたら他のサイトへジャンプしてくださいませ。



今日の日が落ちてから間もなくの時。
ひとつの命が永い眠りに就きました。

振り返ればとてもいい子でした。
本当は大きな病を患っていたのに、この飼い主ときたら元気で病気をしない元気な子だと思っていたのです。

10日ほど前から震えたり食欲が落ちたりして、風邪っぽいのだろうか…、などと安易に考えていた。

確定申告から帰る時、ふと、あの子を病院へ連れて行こうという気持ちが湧きあがりました。今朝はそれなりに食事をしていたし、幾分、昨日よりは元気そうに感じていたのだけれど、何かがおかしいと、もしかしたら神か仏か、僕の身体に憑いているもの、傍にいる何かが耳元で囁いたのかも知れないのだけれど、ただ何となく、そんな程度の感覚で、僕はまっすぐ家に戻ると、書類を置いてその子を連れて病院へ向かった。

クルマに乗り込む時、やはりその子の身体は震えていて、そしてやはり元気がないのを抱きかかえる腕で感じてしまった。
頭の中には急がなくてはいけないのかもしれないという焦りが溢れ、雨の降りだした街の、かかりつけの動物病院へ向かう道を、規則をそれなりに守って走っている前のクルマに若干の苛つきを覚えながら、でも、助手席で丸くなっているこの子に気を遣いながらクルマを走らせた。

かかりつけの獣医師はこの子に触れはじめてから3分程で重篤だという診立てをした。

ご飯も食べたし、歩けていたし、少し寒くて具合が悪いだけだと思っていた間抜けな飼い主の僕は、その数分後に突き付けられる最初の検査によって出された診断結果に愕然とさせられるのだ。
そして、自身の愚かしさに項垂れ、戸惑い、慌てふためくのだ。

末期の腎不全だった。

エコー画像、レントゲン、血液検査でその全てが裏付けられた結果だった。

腎不全には特効薬がない。

幸いにも、人間に対しては、腎臓移植や透析などという手法が選択できる。
でも、この子にはそれがない。点滴やら微かか効果が認められているという投薬治療で、最期の時までを騙しだまし、ちょっとずつ、でも確実にその時へとにじり寄るような苦しい日々を送るという選択と、治療そのものを受けられないという選択しか残されない。
自分では選べないのだ。

安楽死は?

それはこの子の場合は僕が選ぶ選択肢だ。やはりこの子のものではない。

治療を施しても、もって半年くらいがリミットだと獣医師は僕に伝えた。リミットとは治療開始のそれではなく、命の営みのそれだ。

苦しいのか。
苦しいし、だるい。

痛いのか。
痛いと言うより辛い。

そんな日々をあと半年も続けて、そして、あと半年しかない日々を過ごすという現実を、もしそれが僕に起きたのだったら…、と身を置き換えて考えてみると、ぞっとする以外の言葉がすぐには見つからない。
誰かの意思で命を終わらせてもらった方がはるかに幸せなのではないかと思えるようになったのは、その数分後、点滴を使った治療と、投薬を併用した治療のプランに関わる説明をしてもよいかと獣医師が徐で優しい声で聞いてくれた時だった。

その獣医師は、彼は彼なりに自身の愛犬を自身で治療し、最期まで手を尽くし、そして看取った時に己のそれまでの処置に問題があったのではないかという遺恨を常に感じて生きていると言った。
だからこそ、治療に関して幾つものプランを、さまざまなケースを予測に入れて提示できるという能力に長けているのだろう。
彼の提示したプランは、当然の事ながら、大金持ちではない僕に合わせたものだった。

彼は、とりあえず、一旦このだるくてしんどい症状を可能な限り軽くして、通院できるようにする為の数日間の入院だった。

ギリギリだが、何とかできるかも知れない金額に至るプランだ。
それでも他の動物病院と比べたら安い方だ。とてもICUまで完備している病院とは思えない費用設定だ。

僕はすぐにこの子を入院させる事にした。

それではすぐに入院の為の処置をしますので待合室でお待ち下さい、と獣医師の傍らにいた女性スタッフがこの子を抱き上げて行った。

待合の通路でワクチンや、流行している病気や、新しいドッグフードのポスターを眺めながら、病院の奥の方から聞き慣れない声がしているのを耳にしていた。ネコか何か他の動物の声が響いているのだと、そう思っていた。
これから入院して、少しでも症状を軽くする為の処置を施されているあの子の声だとは微塵にも思わなかった。

直後にスタッフの女性が僕に声をかけてきた。

容体が急変して…。こちらへどうぞ。

と、彼女は急ぎつつも落ち着いた仕草で僕を処置室まで導いてくれた。

そこに居たのは、あの聞き慣れない声を出していたのは、この子だったのだと自分の目を疑った。

幾つかの管や脈を取るセンサーのようなものが付けられ、ドラマなどの病室のシーンで人が亡くなった時に聞こえてくる、ピーという音がしたり、消えたりしていた。

心室細動を起こしている状態なのだという。

AEDでショックを与える事でなんとかできるかも知れない、と獣医師が人工呼吸器をこの子にセットしながら慌て気味に言った。

耐えられなかったのは僕の方だった。
この街に来て2年もしないうちにドライアイが原因で失明し、嗅覚と聴覚だけで生活しなければならなくなったこの子の瞳は、見開いたまま乾燥し、手足は有意識下で動いているのではなく、痙攣で微かに動いているように見えた状態で、人工呼吸器を外してしまったら即座に心臓は完全に停まってしまうとの事だった。

この状態で苦しみをこの子が感じているのであれば、どうか安楽死の薬を使って…、などと、口を衝いて出た自分の言葉はもう声にならなくなっていた。

獣医師の彼は、殆どなにも発する事ができていない僕の様子を見ながら、分かりました、とそう言った。

処置室から出され、数分待たされた後で再び処置室に戻された時、そこにはおおよその管やセンサーを取り外されたあの子の身体が横たわっていた。
手を伸ばして、その頭や背中を撫でた。

苦しかったね。
辛かったね。
ごめんね。

そんな事を呟いて、もう何度かその身体を撫でた。

痩せてしまって少し骨ばった感触のその子の身体から手を離すと、僕は診察室で待つようにと促された。

診察室の動物用の体重計の脇にある椅子に座って、レントゲンやエコーの画像の映し出されたPCモニターに目をやりながら思った。

あの子は、僕の日当と一日当たりの入院費が同じで、正直苦しいかなぁ、などと、治療プランを聞かされた時に思ってしまった自分の気持ちを拾い上げたのではないかと感じ始めた。その時に診察室に入って来た獣医師は、最初に僕に詫びた。
詫びる必要などないのに、彼は、診察をし、診断をし、今よりは改善する治療方法を勧めておきながらこんな事になってしまって申し訳ない、と、そういう事だった。

僕としては、本音で言ってしまえば、昼間誰もいない自宅であの子があのような容体に陥ったとしたならば、そして、原因も理由も恐らく全く分からないままで終わってしまうのなら、その悔いは数十倍にも数百倍にも膨れ上がる。けれど、彼のお陰で病名も症状も状態も腑に落ちる形で示してもらえたのだからありがたい。かえって入院にあたっての費用の金勘定で心の中で小さく溜め息をついていた自分の情けない姿の方が数千倍も痛い。

すると、獣医師はこんな事を躊躇いながら口にした。

私がこんな事を言うのも失礼な話なのかも知れませんが、あの子は悟っていたのではないでしょうか。とかく、そういう事が往々にしてあると私は思うんです。

僕もそれは信じたいと思った。
あの子は、病院の診察室で、人が交わした言葉の雰囲気で、その中で際立って僕の気持を察知して、先の知れたその身と、僕のような頼りない飼い主の境遇の両方を汲んで逝ったのかも知れないと思ったのだ。
まだ半年残っていたけれど、もう半年徐々に苦しくなって辛くなって痛い思いをする事と、今日を終いに最期の時にしてしまう事とを天秤にかけて、そして後者を選んで駄目な飼い主を救ったのだと、そう信じると言うよりも、もう、そうなのだと考えてしまっていた。

大した事など何もしてあげられなかった。
目が悪くなってから散歩にも行ってあげられなかった。
ずっと同じレイアウトの部屋の中で、目や顔を傷付けないようにしたひとつの部屋の中で暮らす毎日しかあげられなかった。
皮膚病もあった為、単調で味付けなど殆どないマンネリな僕の作ったものしかあげられなかった。

極めつけが、大病を患っていた事に全く気付かないでいる始末だ。

過去を嘆いても仕方がないと言うけれど、嘆きたいのが心情だ。
早く気が付いていれば、視力も健康な皮膚も、短くして命を落とす事もなかったのだと思えば思うほど悔やみきれない切なさが残る。
そんな事をしても、何ひとつ変わらないのだけれど。

せめて、今夜はずっとそばにいてあげたい。
迷惑なのかも知れないけれど。
押しつけがましい飼い主の不器用な愛情表現だと自覚はしているのだけれど。
今夜はそばにいてあげたい。

ワンコ達はヒトよりも速い時のカウントで生涯を駆け抜けてしまう。余程の事があろうとなかろうと、だ。ヒトの何倍もの時間の重さを背負って生きていると考えるのならば、飼い主もしくは好きな人が、そばにいてあげられる時間を最大限に作る事がワンコ達にとって、それは最も基本となる幸せなのかも知れない。

勿論、これは勝手な飼い主側の論理なのだけれど。
それしか思い浮かばないから、最後くらいはと思い至るから、だからこんな安直な事しかできないのだろう。

お通夜だから、朝までずっと一緒にいよう。
病院のご厚意で綺麗な旅化粧をしてもらったこの子の姿をずっと眺めていよう。

でも、もしかしたら、うっかりうたた寝をして、燈明も線香も消え失せた部屋で、夢に出て来てこの子は僕と遊んでくれるかも知れない。

むしろ、それを狙って眠ってみるのも一計かとも思う。

少し悩ましいところだ。

どちらにしても、伝えたい事は同じだ。

ごめんね。
今まで一緒にいてくれて本当にありがとう。
愛してるよ。

そして、もうひとつ。

それじゃあ、またね。
キョロちゃん。

本当の名前はキョウコ。
少し早目過ぎるお別れだね。

明日、キョウコは煙と共に空に昇ります。

晴れるといいな。


そして翌日。

目を疑うほどに晴れ上がった空だった。

快晴

雲ひとつない快晴。
上空に少しだけ強い風。
暦通りなのか、微かに春めいた空気だった。




今日はキョロちゃんが空へ昇る日。
願った通りに天気は晴れた。
予想以上に、昨晩の雨が嘘のように、お父さんワンコのごえもんを空へ見送った時と同じような晴れ具合だ。
親に似たのかも知れない、と思ってしまった程だ。

キョロちゃんの、魂が抜けて残された身体が納められた段ボール箱から、炉に入れてはいけないものを全て取り去ると、キョロちゃんの身体の全体が露わになった。

すっかり冷たくなってしまった頭を撫でた。
固くなってしまった背中も撫でた。
そして、身体全体をそっと撫でて、それでお終いにした。
自分の心にもけじめを付けた。

炉の係の方がキョロちゃんを箱ごと炉の中央に移し、線香の束を隣に置くように僕を促した。

それでは、これでお別れとなります。

係の男性の言葉でしっかりとさよならを受け止められたような、そんな気がした。

炉に火が入る。
この炉の仕様で、二段階でバーナーに火が着くらしく、少し大きな発火音が二度聞こえた。

これからおよそ1時間ほどかかります。

炉の係の男性はそう言って僕を待合室へと促し、コーヒーと水を一杯差し出してくれた。
それからの一時間は、長いようで短いようで、通夜を過ごした僕は気が着くと睡魔で船を漕いでいた。
ごえもんの時と同じようにと、眠気覚ましがてらに骨壷が陳列されている棚を見に行った。

ここで遺骨を処分してもらう事もできるのだが、僕は家へ連れて帰る事にしていたからだ。

色々なデザインのものがあったが、最もスタンダードな、何の飾り気のない、凝ったデザインの欠片すらない乳白色の壺に決めていた。

コーヒーを飲み干し、水も飲みきり、炉の火が消えるまでの時間を、少しだけゆったりと、外の景色を見ながら静かに待つ事にした。
それから30分程が経過した時、係の男性に声をかけられ炉へと向かった。

男性はそこで開口一番に言った。

何か薬とかずっと飲んでいましたか?
骨がもろいんですよ。年齢の割に弱いというか、年老いているかのような、少し病的にも思えて。
普通に健康ならば、もっとしっかりしているし、ほら、この辺りのかけ方もギザギザで、本来ならばまっすぐに亀裂が入るんですよ。少し力を入れると粉々になってしまうものだから、ちょっと驚いてね。

いや、大した事は何もしていないです。
昨日病院へ連れて行って病気が判明して、そのままい亡くなってしまったので。
という僕の回答に、彼は応えてくれた。

寿命ですね。
短いみたいだったですけれど、与えられた時間をしっかり生き抜いたのですよ。全うできて良かったのだと思いますよ。

そうですか。
そう仰って頂けると気持がまた少し楽になります。

骨壷が当初のサイズからひとつ下の大きさに変更になった。
ごえもんと同じ壺だと、大き過ぎてしまうからだ。
そして、箸渡しでキョロちゃんの遺骨をその標準より小さめの壷へと箸渡しで入れていく。
何人も見送る人がいると、順番に代わるがわる行うのだが、僕ひとりしかいない箸渡しは少しだけ慌ただしい。うっかり骨を壊してしまいそうになる。
そして、同時に寂しさを感じてしまう。

後は私がお入れします。

係の男性は手際良く、あっという間に遺骨を壺に無理のかからないように納め、そっと蓋をし、白い布で骨壷を包んだ。

手渡された骨壷を抱きかかえて待合室へ戻り、清算を済ませてクルマに乗り込んだ。

さぁ、お家へ帰ろうキョロちゃん。

クルマの出入りに少々スペースが必要な僕のクルマは、いつもなら切り返している筈なのに、そのまま細い通りに面した駐車場から一回で出ようとしたものだから、縁石でバンパーの下の部分をゴリゴリとこすってしまったようで、ミラー越しに誘導をしてくれていた係の男性の苦い表情が見えた。

この傷は記念になるね、キョロちゃん。

などと独り言を呟きながら火葬場を後にした。

助手席に置いたキョロちゃんの骨壷を見ながら、ワンコの世界にも、美人薄命、なんて言葉は通用するのかも知れないと、ふとそんな事を思った。
キョロちゃんは生まれてくる時に仮死状態だったものを、僕が必死に叩いたり気管に入った水を抜こうと振ったりして、僕の所で生まれてくる子達は絶対に死なせないと何度も繰り返して言いながら、やっとの思いで命を繋いだ子だったせいか、少しだけもの覚えが悪いようだったが、確かに整った顔立ちで綺麗な子だった。

ご縁がなくて独身で過ごしてしまったが、もしかしたら可愛い子達を産んでいたのかもしれない。

雲など全く現れる様子の無い空の下を、僕とキョロちゃんは家へと向かった。厄落としを兼ねて一か所寄り道をして、そして父犬のごえもんの壺の隣へと収まった。

灯明から線香に火を移し、お鈴をそっと鳴らして手を合わせた。

お帰り、キョロちゃん。

人それぞれで考え方や捉え方は異なるようだが、遺骨はきちんと埋葬しなければならないとか、散骨しなければならないだとか、カロートと作って納めなければいけないだとか、そのまま家の然るべき場所へ置けば良いという意見がある。

僕は位牌を用意できる訳でもなく、そもそも、ワンコに位牌が必要なのかも分からないし、かと言って、遺影を代わりに置いて日々、線香を立てようにも、肝心な写真でまともなものがない。
おかしな格好をしている時のものや、風景写真的に後ろ姿を捉えたものものばかりで、本当にまともなものがないのだ。
しかも、それぞれが体調に変化が出始めてからは全くと言ってよいほどワンコ達の写真を撮らなくなったのは確かだ。

弱みを背負った姿を残そうだんて、趣味が悪いと言っても過言ではないと考えていたからだ。
だからここ数年の僕のカメラの被写体は誰もいない風景であったり、無機物であったり、ブログ用の説明画像ばかりなのだ。

だから、当初より家に骨壷を置いて、お参りする形をとっているのだ。
元気な時の写真でも、と思われるかも知れないが、そうなると、本当に小さな頃の幼いものしかなくなってしまう。
それだけ、とりわけlキョロちゃんの眼病の発症は早かったのだ。

9歳という若さだったのだけれど、たくさんの人達の言葉にあえて乗せられて、進んで騙されて、誤魔化されて納得したキョロちゃんの生涯に、僕なりの気持の落とし所を置いて、そして、明日からは顔を前に向けて生きていかなければいけないのだ。

何故と言えば、少なくとも僕にはあと2つの命を今回のように見送る義務が残されているからだ。
万が一にも僕が先に逝く事があったらどうしようかと思案する事はあるけれど、とりあえずは歩かなくてはならない。

いつか自分の墓にこの子達と一緒に僕が納まれば、色々な意味で帳尻が合うのだが、それにはまるで程遠い環境に、今、僕は立っているからだ。仕事も生活も今のままではダメなのだ。
無念のままに全てが終わってしまうかも知れない。

そう言えば、通夜の晩、意図した事ではなかったのだけれど、何度かうたた寝をして線香やろうそくの火を絶やしてしまっていた。
だけれども、夢枕にキョロちゃんは現れなかった。
僕の眠りが浅過ぎたのか、キョロちゃんも疲れていたからなのかも知れない。

今夜あたりには会えるだろうか。

妙な気分のまま、今日はこのまま布団に潜り込もうと思う。

愛犬家に良くある愛犬自慢の画像のアップだけれど、僕もご多聞い洩れずだ。

キョロちゃんが昇った空の画像と、この子がおかしな格好をしている姿を誰かに診てもらいたいと思ってしまうのだ。

こんな飼い主でごめんね、キョロちゃん。


そして、後日談ならぬ、翌朝の話だ。

ハッとしたのだ。
ごはんを作り過ぎてしまった事に気がついたからだ。

そうなのだ。

使わなくなった皿がひとつ増えてしまっていた事をすっかり忘れていたのだ。

いつも同じ野菜+ちょっとしたお肉の入ったスープを味付けせずに作っておいて、ワンコ達と自分用で味付けを変えて分けっこしているのが我が家の食事のパターン。

それはそれとして、ワンコ達のお皿にご飯をよそおうとして、二つしかないのを見て、少し、やっぱり寂しさが込み上げて、ひとつ小さく息を吐いてから、二つのお皿にご飯を入れた。

ワンコ達を連れて、このワンコ達が生まれた所へ、かつて暮らしていた町ね帰ろうかという気持ちを強くしても許されるような、手前勝手な理屈を頭の中で模索し始めながら、二つのお皿を見ている自分がいる。

他にもかなり深い所からの経済情報の影響もあるけれど、この地に留まる理由が加速的に削がれている僕の人生に、目に見えない誰かが僕にそう囁いているからなのかも知れないけれど、それに乗せられてしまおうという自身の強さなのか弱さなのか良く分からない曖昧な心理に振り回され始めたのだ。


続きは、後日談にて。
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
人生にはいくつもの分岐点があるのだろうし、きっとそれらは否応なしに面前に訪れる。
そういうものだと思う。

ただ、そこで全てを任されるのが「選ぶのは自分自身」という丸投げにも似た文言だ。
うっかり見過ごすといずれ誰かを憎んだり恨んだり羨んだりする種になり得るとても重要なものともいえる。

ここ数日で複数の人物に接触した。

本当にそれぞれみな違った生き方をしていて、リッチでお金に困った事がないだとか、財布の中身はいつもだいたい5千円未満だったりと、その格差を比べてはいけないのだろうが違いはある。
ここで発生する問題は、彼らをどんな「モノサシ」で、どこを基準に測ったら良いのかという点だろう。

結論としては、恐らくは測る事自体が間違いで、「本人がどれだけの満足感を人生で得ているか」で終始するのではないかとやはり感じてしまう。

他人がどうこうと考えた時点でそれは嫉みにもなり優越感にもなり得るからだ。


社会に出てから20年を越えたあたりだが、これから先どうなるかは自分次第だ。
どんな道も選らベルのかと言えばそうではない。
いわゆる企業の「正社員」と呼ばれる括りで所属する事は不可能に近い世の中になっている。
書類に書く生年月日だけで企業の人事は煙たがるのが常識だからだ。

以前、人事を担当していた経験が自分にもあるだけに、それは痛いところでもある。


宙ぶらりんな生活で、身体を壊したり怪我をしたら即生活が崩壊するというステータスをどう捉えるかだ。

何らかの野望を燃やして情熱を傾けるのも、項垂れて悲観しながら生きて行くのもアリなのだとは思うが、願わくば後者は選びたくないし、選ぶべきでもないと、騒動が起きてから1ヶ月近くが経って最近ようやく思えるようになった。

今欲しいのは、正確には、今自分が求めているのは「拠り所」なのだと感じている。それが何なのかは良く分かっていないのだが…。
不思議とお金が最優先では無かったりする事に自分自身で少しばかり戸惑ってしまう。

日々の生活で削れる部分が食費だというレベルに至っているというのにも拘らずだ。

まともなものを食べる訳に行かなくなって20代の頃の体形に戻ったのはある意味「お得?」なのかも知れないが、肉体も衰えてしまうのが難点だ。
当然と言えば当然の結果だが、ここから巻き返して行くのに何が必要なのかはやはり考え直さなくてはならないのかも知れない。

一緒に生活している犬の為に作っている鶏肉中心の煮物を自分の食事用の鍋に少し移して味付けをするようにして動物性たんぱく質を接種して来たつもりだったが、栄養学に詳しい人物によると、それは逆効果でダイエット用の食事だと注意された。
犬の皮膚病に合わせた食事療法の一環として鶏肉料理を作って来た訳だが、自分が食べる物に関しては豚肉系の方が良いのだそうだ。
適度な野菜と適度な炭水化物。

鶏肉と豚肉。
グラム当たりの価格の違いになかなか手が出せない。



今の自分の大元の岐路は、スーパーの精肉販売コーナーにあるのかも知れない。
値引きシールが二枚重なった菓子パンが置かれているコーナーで税込80円のパンを手に取りながらそんな事をふと思ったのだった。


After All This Time だ。

さぁ、どうする? 自分。

道はいくつでも転がっていると有名な歌手は唄っているが、一瞬でも死を脳裏に浮かべた人間がそれを例え一時的であったとしても諦めたばかりの状態で、ゴロゴロと転がっているという新たな「生き方」なんていうものは見えていたとしても気付かないのが定石だとも思う。

自分自身が最も嫌うセリフ、

「時間が解決する」

は、やはりここでも適応されないのだ。

時間など、どれだけ流れても何も解決しないからだ。

「ほとぼりがさめる」のだとしても、それは他人が決める事で、自分自身の問題ではないのだ。


ただ、焦る事だけは避けた方が良さそうだ。強過ぎる焦燥感に蹴り倒されそうだが、じっくりとじっくりと、次の風が吹く瞬間を狙うまでだ。


大きな岐路はそこで待ち構えているに違いないのだから。

自分との勝負。
無くも笑うも己次第という事だ。
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
本当に死んでいたかもしれない私のブログ。

すごいですね。
ログがきちんと残っているんですねぇ…。

四捨五入でギリギリ40歳になってしまった。

しかも、このタイミングで一人暮らしにもなってしまった。

みんな一歩ずつ前を見て歩けと言う。

長淵剛さんの「お前が舵を取れ!」(Captain of the ship)も聴いているけどね、崖から落ちそうになる瞬間がない訳ではないかな。


スッゲェ暗いネタになってしまった。

お金ないけど、頑張って交通孤児を引き取って家庭という環境を感じてもらおうとかって考えるけど、母親の立場に当たる人がいないと、結局ニセモノみたいな家庭になってしまうよね。
ホンモノって何? って議論もあるのだろうけれど…。

哀川翔さんみたいに、分け隔てなく接する事は余裕でできそうだけど、その前に家計だろ、自分!

  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
「もったいない」プロジェクトです。

Windous 7 のパソコンを購入した親族から拝領致しました、超遅Vista君を生まれ変わらせる施術を行ないました。

Vista仕様のパソコン自体は基本的にスペックが高いので、Windows7以降のOSに変更する事が容易で、かつ驚くほど快適に使える様になります。

Windows7以降のOSには、ヴァージョン以外(Home Premium, Professional, Altimetなど)に、仕様(正規品、バンドル品、OEM品など)が有り、ネットなどで、あれ? と思う程安いのは、シリアルナンバーが付属していないヤツです。インストールはできますが、30日で使えなくなるので、再インストールして使いたいって言う人にはもってこいの安価版です。

私はまっぴらゴメンですが…。


かと言って、お店の棚で売られている正規品はちょっとお高い。



蛇の道は蛇です。

ネットオークションなどを活用して、シリアル付きの中古ディスクを購入したり、ちょうどうまい具合に使用したいパーツとセットになったバンドル版を購入するなど、様々です。

が、私の場合は、そんなうまい具合に的なパーツを待っていても現れなさそうな古い Vista パソコンをリユースするので、ちゃっちゃとやる方法を模索します。

今回のベースマシンは、NEC製(Made in China)Lavie LL550 です。↓
NEC Lavie LL550 Windows Vista Home Premium


Windous7環境にする為に、心もとないメモリ1Gを2Gに変更します。ちなみに、Windows7は、比較的メモリに依存する様に設計されているので、メモリを多くしてあげると、サックサクに動くっぽいです。

そこまでのスペックを必要としないので、2Gにします。



先にメモリをくっつけます。

裏返しました。

まず、ひっくり返します。

で、バッテリーを取り外して数分放置します。↓
バッテリーを取り外します。


デスクトップでも同様の事が言えますが、電源を取り外して、内部に蓄積されている微小な電気を消費させてしまいます。残っていると、思わぬトラブルの原因になり、最悪基盤交換などの憂き目に遭います。

この辺りから放置プレーぽくなるので、覚悟しましょう。

メモリの蓋を外します。↓
メモリーの蓋を外します。

2枚で、1024M≒1G と言う仕様でした。

2枚で合計1Gでした。


これでもWindows7はインストールできますが、その後の事を考えると、もう少しサックリ感が欲しいと思って2Gに変更しました。


5年保証!
強気の五年保証です! ↑


出逢いと別れです。

そして、出逢いと別れです。
512Mのペアと、2Gの独り者がここですれ違います。
ドラマですね。(どうでもいい)


はい、2Gになりました。↓
2Gになりました。


快適性を数値で適当に示すシステムの表示です。

快適性を示す指標になるとされているものです。
グラフィックボードが大した事ないものなのでこの程度です。

デスクトップでバッキバキにゲームとかする人がクソ扱いするレベルです。

このマシンでゲームはしないので、これで十分です。

ちなみに、このLL550シリーズに限らず、他のOSからWindows7が設定されたら、必ずグラフィックボードのドライバをWindows7用にアップデートしましょう。必ず画面が粗くなったり、丸い画像が楕円になったりするのですぐに気が付くと思います。

なお、LL550系は、NECのサイトからダウンロードする方が手っ取り早いです。
グラフィックボードのメーカーサイトからだと、見つからない場合があります。(古すぎるせいかも…)

Windows 7 のディスクをセット。

Windows7のディスクを入れると、自動再生される場合とされない場合が有りますが、されなかったら、ディスク内の「set up」と言うヤツをダブルクリックで、インストールが開始されます。


なお、旧OSからのWindows7への変更には、アップデートと新規インストールが選べます。以前のなんやかんやを引き継ぎたい方は、同じバージョンの違うOSでのみ実行可能だと言う事を忘れないで下さい。

つまり、Vista Home premium からは、windows7 Home Premium。Professional(Business) からは、Prefessional と言った具合です。

そんなのどうでも良いです!
新規です!

と言う方は、お好きなバージョンを選んで下さい。
ただし、パソコン本体のスペックが低いと、Altimet は宝の持ち腐れになりますのでご注意を。

ちなみに、今回の私のバージョンは、Professional です。
Home Premium から新規インストールです。


インストールの途中で、アップグレードと新規が選べるウインドウが出現しますが、新規の方は迷わず新規インストールを選んで下さい。

なお、アップグレードを選択すると、インストールできても問題が発生したり、インストール自体で4時間近く掛かるので、オススメしません。

今回の新規インストールで要した時間は、約2時間。
でも、OSの更新に2時間半掛かりました。

セキュリティの問題も絡んでくるので、インストールし終わったら、早速ネットでムフフ…みたいな、自殺行為はやめましょう。
必ず、Windows update で可能な限りの重要更新はしてしまいましょう。



途中で終わりの話になっていました…。

途中で、使用する原語、時間、パスワードの設定やら、パソコンに名前を付けると言う儀式が有りますが、パスワードの設定だけはスルーできます。

放置プレーの合間を画像でお楽しみ下さい。

勝手にどんどん進みます。

こんな感じにインストールは進んで行きます。

マウスにもキーボードにも一切触らず、他のパソコンでネットであれこれ作業をしながら放置し続けます。

Windows 7 が設定されていきます。

ここまで来れば、ほぼ、Windows7 です。


なにやらやっています。


Windows 7 仕様のできあがりです。


ちなみに、通常起動の時間は、熱いコーヒーを飲んでる間が無い位に短縮されました。

ブラウザもスパッと開きます。

私は、Firefox 派なので、Firefox をインストールして、適当にセキュリティソフトをインストールし、後はダラダラと続く Windows uodate を繰り返します。

全工程で5時間です。

ショップに頼むと、手数料を取られます。(当然ですが)

でも、放置プレーで手数料分が浮くのなら、メモリや中古OSを手に入れてもお釣りが来そうですよね。まぁ、来ませんけど。


近所で、「遅くてムカつくから要らない」と言われたVista君が居たらしめたものです。うまい事言ってゲットして、Windows7にして使ってあげましょう。(人間関係に歪みが出ない様に注意して下さいね。)
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
最愛のごえもんが旅立ってから20日が経とうとしています。

あれこれ色々と考えました。

本当にどうしたら良いのか分からなくなってしまってね…。


ペット・ロスの恐怖もあったし、ワンコの弔い方にも色々あって大変でした。

いつも来客時以外は一切吠えない ごえもん は、何かあると黙ってそばに来て座っていたっけ。
具合が悪かったのかお決まりの場所で丸まっている事が多くなったなって思っていたんだよね。


とってもいい子だった。

いつまでも落ち込んでいたら、きっと ごえもん、お前さんに吠えられちゃうよね。


お前さんの家族も居るし、頑張ろうかなって思う。

願わくば、お前さんの孫ができたらなって思ってる。



頑張りますっ!
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
今朝。

そう、平成25年3月24日。


ごえもんの亡骸は荼毘に付されました。


前日にごえもんが迷わずに逝ける様にと願ったとおりに、空はよく晴れ、最後の別れから1時間程で、ごえもんはお骨になりました。


骨壷に収められて家に帰ってきました。

我が家にはまだお墓がありません。

なので、しばらくは家の中で暮らすのだと思います。


先の事はまだ考えていません。
何をどうして良いのか分からない位です。


でもね、いつまでも落ち込んでいたら、彼はこの世で僕の世話をしなくてはなりません。
彼を安心させて、何の気兼ねも無いままに天国へ昇って行って欲しいのです。


でも、ほんのちょっとだけでもいいから夢に出てきて欲しいかな。

わがままかな?



ごえもん。
安心して天国へ行って、いつもの様に黙って静かに見守って下さい。

愛しているよ。

ずーっとね。

ずーっと。


それじゃあね。

ごえもん。
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
つい今しがた、私の愛犬が天寿を全うしました。

15歳と3ヶ月弱。

ペットとの別れ。
動物と共に生活する上で、避けては通れない事です。


私の犬、ごえもんは生後3ヶ月に満たない位に、私の所へやって来ました。


兄弟は他に2匹居ました。

3匹とも先天性の心膜横隔膜ヘルニアという病気で、私のところへ来てすぐに手術を受けました。
でも、その手術が完全にうまく行っておらず、累計で3度、彼は同じ部位の手術を受けました。

3度目の正直で、彼は健康な犬と同じ生活を手にし、妻がペットショップで一目惚れしたワンコとの間に5匹の子供を授かり、その内の2匹が一緒に今まで暮らしていました。

背骨や皮膚に病気を抱えるようになり、目も殆ど見えない状態になり、歩くのもおぼつかない状態になっていました。

シー・ズーの犬種が受けると考えられる病気を複数抱えてしまったみたいです。

最期は心臓の機能障害で息を引き取りました。



15年の共に暮らした時間。

彼は幸せだったのだろうか。
亡骸を撫でながら、「ごめんね」の言葉しか出てきませんでした。


最期は苦しかったのだろうと思います。

言葉を持たず、尻尾を振ったり、身振りと声を出す事でしか気持ちを表現できない犬です。

「苦しい」、「助けて」と言っていたのかも知れないと思うと、自分の無力さに失望さえ覚えます。

だから、「ごめんね」なのかな…って。



一緒に過ごした時間は宝物です。

もっといっぱい抱きしめてあげたら良かったのに…と後悔の念が残ります。



妻が言いました。
「今日は私達が披露宴の代わりに結婚記念ライブパーティをやった日だよ」
と。


彼はこの日を選んだのでしょうか。
誕生日や記念日をよく覚えない私の事を察したのでしょうか。


忘れない様に努力しなくちゃね。


2013年3月23日
名:ごえもん
享年:15年3ヶ月

安らかに眠ってね。

大切な思い出を本当にありがとう。

つきなみだけど、愛しています。


もし、願いがかなうなら、また会おうね。

在りし日の姿
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
某新聞社から取材を受けました。




あんな事やこんな事をして怪しいぞ、お前っていう取材ではございません。

あしからず。




某新聞社の主催するサイトで、ワンコに関する記述を投稿したのがきっかけで、記者さんからお電話を頂きました。



思い返せば、僕が小さい頃から当たり前の様に家には犬が居て、犬に対する理解が浅かった家庭であったが故に、実はテリアだった犬が大型犬まであとちょっと位まで大きくなり、人間の残飯を与えられ、しまいには真冬に凍死というかわいそうな運命を辿らせてしまった事を小学校低学年ながら鮮明に覚えている。

あの犬は確か叔母が恩師から「良い犬だ」と貰い受けたのだそうだったが、その「良い」の意味がよく分かっていなかったのだろう。

あの犬は、今だからこそ自分にも分かるようになったが、テリアの純血種だった。

頭の良い犬で人懐こかった。

ただ、当時の日本で、しかも信州の田舎には、毛の長い犬のトリミングを行う業種などは皆無で、祖母が時々目にかかった毛やフエルト状になった部分を刈っていたのを覚えている。

散歩にも連れて行ってあげたの記憶も数えるほどしかないが、連れて行く度にとても喜んでいたのが僕にも分かるほどその犬ははしゃいでいた…。


その犬の死後は、柴犬がやってきた。
親族がブリーダーじみた事をやっていて、その時に貰ってきた子犬だった。
家に連れ帰るまでの車中で抱っこをする僕の腕の上にゲロを吐き、車内は大騒ぎになったが、僕はさほど気にならなかった事を覚えている。
妙に納得がいったからだ。

「だって生きているんだし。車に酔ったんだよね。」

その犬が段々大きくなって、成犬になった頃には、祖母曰く、「お前にゃこんなに喜ぶのに。」とこぼした程、その犬はなついてくれていた。


時期を同じくして僕が上京してしまい、3年程して帰省した時に、その犬が死んでしまっていた事を知らされた。
家族の誰も教えてくれなかったという事よりも、死に逝く時の状況からフィラリア線虫に蝕まれていたのでは…という結論に至った。
無知ほど罪な事は無いと、つくづく思い知らされた。

犬には狂犬病の予防注射以外に、幾つかの種類のワクチンや、フィラリアの予防薬を摂取させる必要があった事に、遂にその時まで知らないままのほほんと過ごしてしまっていた自分に酷く腹が立ち、償いようの無い罪を重く感じた事だけが突き刺さったまま身体に残った感触だった。


それから東京で暮らす様になった自分は、動物を飼う事など一切考えない生活を送った。
知人の家には、ウサギやらインコやら、中には爬虫類を飼っている者も居たが、自分の目には何も残らなかった。
「別れ」に苦しむ事から絶縁していたかったからだ。






そんな自分が今は、4匹の犬と暮らしている。



ひょんな事から犬を貰う事になり、最初は難色を示していた自分が、小さな小さな子犬をたった一度抱っこしただけで手放せなくなってしまていた事に自分自身で驚いた程だった。

それからの付き合いの ごえもん は、今僕のベッドの上でいびきをかいて寝ている。
もう13年。
だいぶ歯も減ったし、背中の骨も曲がってしまった。
視力も落ちて、お菓子を投げても口で受け止める事は全くできなくなってしまった。
だけど、側に居てくれる。
みんな、水が飲みたい時は、時間の経過した水が入った入れ物と、僕の顔を交互に何度も何度も見て、「早く新しいのをよこせ」と目で訴える。
お腹が空いた時は、食べ物をもらえそうな雰囲気の所へ行ってはグルグル回ったり、行ったり来たり。大抵台所かリビングですけど。

過去の辛い思い出があるから、ワクチンも健康診断もフィラリアも一通り受けさせている。

ヨメワンコの おと と、その間に生まれた5匹の子供の内の2匹が一緒に暮らしているお陰で、出費もただならない程だが、趣味をひとつ封印して対応している。ちょうど都合よく、趣味に費やす時間がなくなってしまったのも事実と言えば事実だが。


そんな私の近況が、関東エリアと関西エリアの限られた地域で発行される新聞に記事として載るらしい。


その取材と許諾を得る為の電話だった。

どんな記事になるのか住んでいるエリアの都合上、知る事はできないのだろう。
でも、まぁ、4匹を交互に撫でて、それで良しとしようと思う。


欲を言えば、ごえもんが元気なうちに何度か泊まりで旅行にでも行きたいと思う。

民族大移動的な旅行になるのは必至だ…(笑)。
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
「初心へ帰る」

じゃなかろうか…。


ま、そんな訳で。













お鼻
↑ピンボケですが、鼻です


こういうのをつい撮影してしまいます。



将来蹴られる覚悟はできています(怖)。




そうそう、ワンコが本来のネタでした。


という事で、最近のおと母さんです。
眠いんです
↑おと母さんはお疲れ気味です




今日は、いつもの長~いクルマネタをアップするのをやめたので、サービスショットを。

やってみたかったので、こんなのを。
お買い物
↑ボーロを食べるのはワンコ

ショッピングカートに子供を乗せるのが意外と楽しいです。
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
東京スカイツリーを造っている義兄家族がやって来ました。



ウチの娘の為に、もう使わないというチャイルドシートや、ベビーカー(フレーム歪み有り)や、三輪車(走行に問題有り)や、おまるやオモチャの類(男の子用)をごっそりと譲って下さるという名目で里帰りの様です。

忙しくて家族で遠出ができるのは良くても年に2回だそうで。今回、ゴールデンウィークにお休みが取れたということです。…という事は、今年はもう来ないという事でもあるそうです。

まぁ、スカイツリーの建築に携わっているだけあって、超多忙なのだそうです。スカイツリーの近所で宿泊して家に帰れない日もかなりあるとか。


お偉いさんで、責任が重いので、部下や下請け業者の作業の手落ちが無いかをチェックしたり、次の工程で如何に無駄が出ないで確実な進展ができるかどうかを常にプランニングしなければならないのだとか。


スカイツリーの現場の写真とか見てみたいとリクエストしたら、「そんなものは俺は持ってねぇ。全部頭の中だよ。」と笑って返事されてしまいました。

つまり、記録写真は、彼の手下の現場監督が採集しているみたいです。

「おい、そこ撮っておけ」とか「ここ、3方向からな」とか言って手下が撮影するみたいです。




一人で会社の予算の割り当ての○○億円を任されているだけあって、「次はスカイツリーのこの部分を取る予定」とか言っていました。
まだ全体的に業者ごとの割り当てが完全に決まっていないんだなぁと思いました。
そりゃそうだ、数ヶ月で終わる様な仕事じゃないですからね。次年度にかかる計画ならば同じ物件でも区域別に当然入札もあるでしょうし。




ま、そんな義兄が家族の中でも出世頭なのは明白で、比べちゃいけないとは思いつつ、僕とはたっているポジションもスタンスも違うな…と思いながら、さっきみんなで食事をして来ました。


で、そんな義兄の為に、先日、我が奥様は気を遣い、家を綺麗にしておきたいと言い出し、まずはワンコをトリミングに…て事になって、毛刈りしてもらって来ました。

4匹中3匹がカット長1ミリ。残る1匹は先月カットしたばかりなのでシャンプーのみ。


仕上がりはこんな感じです。



ごえもんカット後の姿
↑ごえもん


シャンプーのみのおとの図
↑おとはシャンプーのみです


半蔵カット後の図
↑半蔵

足元にあるのは彼のお気に入りの「軍手」。もうボロボロですが、これがいいみたいです。(笑)


カット後の響子の図
↑響子…

声を掛けても振り向いてもくれません。カットが気に入らなかったのかもしれません。


結局、みんな寒くてブルブルだったので、ストーブやらエアコンで室温を上げた上に、服を着せました。


もう少し暖かくなるまでモシャモシャのままで良かったんですけどね…。

我が奥様の事情みたいなものもあって。



ワンコと一緒にいる時間をこのゴールデンウィークにはできるだけ捻出してあげようかと思います。

ちなみに、義兄家族が戻るのは3日後です。

ワンコ達よ!
いっぱい撫でてあげるから許しておくれ…。
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
近所のホームセンター(本社:群馬県)チェーンに行きました。

目的はワンコのおしっこシート。

いつも1280円なのに、期間限定で980円になるんですよ。


で、それを狙って行って来ました。




売り場には30個くらい置いてありました。

カートに次から次へと積み込みます。

20個乗りました。


で、ついでにペットフードコーナーを見に行ったら…。

なんと、シーザーが1個118円!

いつもは136円なのに。
先日は128円で安売りだったのに。

円高のせいでしょうか…。
とりあえず、136円の時と比較すると、かなりのお値打ち。


という事で、これも棚に残っている分を全てかごにぶち込んで、126個。



奥方におしっこシート2個を手で持ってもらってお会計。
いつの間にか、ちゃっかり雑貨とかがカートにねじ込まれていましたが、ま、いいかって事で(笑)。


来年の春からは人間用のオムツも買わなくてはならない事を帰りに思い出し、オムツはネットでまとめ買いの方が安いのだろうか…などと考えながら帰宅。

おしっこシートは押入れに入りきらずにいくつか部屋に出たままになってしまいました。
どうせすぐに使ってしまうんでしょうけれど。




来週、車検です…。
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
ウチでは日向ぼっこのことを、安直に「ぼっこ」と呼んでいます。


今日は日差しが良く、暖房を使わなくても部屋が暖かいです。




普段、僕がごろ寝している座布団を略奪されました。



















bokko
↑占領された図









お前たちは猫か!
(笑)
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
近所のホームセンターに、ちり紙を買いに出かけました。


ワンコのンコをつまんでトイレに捨てる時に使用する、必須アイテムです。

先日、近所のドラッグストアに行った時にもちり紙を発見したのですが、ちょっとお値段が高くね~?と思い、購入を断念しておりました。


で、本日、思い立った様にホームセンターへ。




…そこまではいいんです。



ちり紙だけ買って帰ればどうって事無い一日だったんです。


いつものくせで、店内をグルッと一回り。


「シーザー」が1個128円で売られていました。

前回購入時は138円。
単純計算で、1個あたり10円お得な状態に。
しかも、セール期間限定。


ケチケチ計算機が即座に動作し、ちり紙の陳列棚をスルーし、お買い物ワゴンを引きずって「シーザー」の棚の前に。


全部で5種類くらい有りましたが、ウチのワンコは贅沢者で、チーズ入りのシーザーは食べないので、残り4種類でにらめっこ。


お買い物は事前に熟考して、短時間で済ませる主義の僕には、陳列棚の前でじっとしている事が苦痛になります。


そこで、そんな所で悩んでいるのもかっこ悪いし、ま、いいかって事で、シーザーを端からお買い物ワゴンの中へ移す事にしました。

100個買っても1万円ちょっとだし…といういい加減な計算の元、陳列棚が奥行き三段の構造だったkともあって、お買い物ワゴンの中はシーザー二段積みで240個入ってしまいました。




持っていた携帯の計算機でざっと計算。


ぬおおぉっ!


そこへ他のお客さんがやって来る。


ワゴンの中のシーザーを棚に返すのもなんだし、どうせいつかは買うんだし、今日は特別にいつもより10円安いんだし…。


都合の良い口実を頭の中で並び立て、そんな時、ちり紙の記憶が蘇り、240個のシーザーで埋め尽くされたワゴンを押して行き、ちり紙をその上に乗せ、表情を変えないように努力(←なぜ? なぜ、なぜ?)しながらレジへ並びました。

レジのオネェサンはシーザーの種類をきちんと分けてからいちいち計算しなくてはならないらしく、カウンターの上に一旦シーザーを全部乗せました。それから種類ごとに分別。そんな様子を見ていた後ろのお客さんは他のレジへ並び直しました。


という訳で、5分くらいかかってシーザーは買い物袋・大、3つになり、再びワゴンの上に乗せられました。

携帯で計算したのと同じ額に、ちり紙の代金が上乗せされた金額を、オネェサンは口にされました。

「一回で」
とゴソゴソと財布の中からカードを差し出してクレジット払いにしました。


思い出した。


今月、車検じゃないかっ!

おまけにもう一台もドライブシャフト交換だったな…。





「ありがとうございました。またお越しくださいませ。」
とマニュアル台詞を背中に受けて、僕は店を後にしました。





年内は小遣い無しだな。

シーザー



なぜ? って、再来月にもう一台が車検だからです。(笑・涙)
  • このエントリーのカテゴリ : わんこ
 

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Author:luminousfactory
長野県発
ウチのワンコ達、その他、自分の周りでホットなものを順次掲載していきます

 

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